超一流が続々、、

テリー重田

2006年09月10日 17:44

1965年西平 繁とブルーノーツバンドは浦添市の小湾にあったVFWクラブの専属バンドになった。8人から12名編成に人数も増え、ビッグバンドのサウンドに一歩近くなった。



 当時の沖縄のバンド界は確かに活気に満ちていたと思います。本土から沢山のミュージシャンが移住または技術導入のような形で来沖し、フィリピンのAクラスの人たちが後を断たないくらい出入りが激しかった時代でした。
 沖縄県音楽家協会が生まれたのもこの辺りだったかも。那覇市与儀にあった「琉米親善センター」でコンサートがよく行われていた時代。OJAの前身については改めて検索してみたいと思います。
今は亡きジミー田中(dr)さんや東京在住の木下秀男(tp)さんなどのジャズコンサートは国映館やグランドオリオンの映画館を利用して行われていた。
 米副大統領直轄のクラブといわれたVFWはじめ基地内の主なクラブは毎週のように本国から超一流のミュージシャンやアーティストが慰問で来沖した。
例えば、グレンミラーオーケストラ、カウントベイシーオーケストラ、デュークエリントン オーケストラ、ジャック ティーガーデン、ダコタ ステイトン、ブレンダ リー、アイク コール、ライオネル ハンプトン、ブルーミッチェル、etc,,,,
僕の脳みそに残っているだけでもこんなすごい人たち(JAZZ)だからウェスターンやコメヂアンその他を加えると世界中のアーティストが沖縄を通過して行ったに違いない。
 フィリピンのミュージシャンが沖縄で仕入れたヒットソングをいち早くレパートリーに取り入れて<東京で稼ぐ>、そんな時代でしたから、沖縄の音楽レベルが高かったと言われる所以だったかも、、、沖縄のチャンプルー文化はこんな所にも根ざしていたようですね〜。 

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